私は映画を観るのが好きで、年間に15本ほど映画館へ足を運びます。
そんな私ですが先日の休みに、公開中の映画 『時には懺悔を』 を観てきました。
なんと、今年観た映画の中で一番涙があふれました。
以上、感想終わりです。笑
・・・これでは、この映画のどこが良かったのか、全然分かりませんね。笑
この映画は、『下妻物語』『告白』などで知られる中島哲也監督が、構想18年という長い年月をかけて完成させた作品だそうです。
出演者も、西島秀俊さん、満島ひかりさん、黒木華さん、宮藤官九郎さん、柴咲コウさん、佐藤二朗さん、役所広司さん、片岡鶴太郎さんなど、まさに主役級の役者さんばかり。
これだけでも観る価値があると思います。
ただ、私がこの映画を観た後にずっと考えていたのは、
「人間の命の価値と尊さとは何だろう?」
ということでした。
登場する大人たちは、それぞれ過去に傷を抱えています。
誰かを傷つけた人もいれば、家族から逃げた人もいる。
自分自身を許せないまま生きている人もいます。
決して「良い人」ばかりではありません。
むしろ弱くて、ずるくて、取るべき行動を間違えてしまう。
でも、それだからこそが人間なのかもしれません。
そんな大人たちの心を少しずつ動かしていくのが「生きているのが奇跡」と言われた、
新(しん)という名前の、重い障がいを持つ子供です。
ここで私が考えさせられたのは、
もし、「人の役に立つこと」に命の価値があるのだとしたら、重い障がいがあり、
誰かの助けを借りなければ生きられない人の命には価値がないのでしょうか?
もちろん、そんなはずはありません。
私を含めてほとんどの人は、何か特別なことを成し遂げているわけではありませんよね。
普通に働き、家族と過ごし、笑ったり、悩んだりしながら毎日を生きています。
私は時々、「人間は自分の力だけで生きているのではない」と思うことがあります。
なぜなら、たとえば手や足などは自分の意思で動かすことができますよね。
呼吸だって、数十秒なら意識して止めることができます。
でも、心臓の鼓動を自分の意思で10秒止めてみようと思っても、それはできません。
寝ている間も、意識を失っている時も、心臓は動き続けています。
そう考えると私は、
「私たちは生きているというより、生かされているのではないか?」
と思うのです。
原作者の打海文三さんは、実際に障がいのある息子さんを育てた経験をもとに、この物語を書かれたそうです。
私自身にも重い障がいを持つ子どもがいることもあり、この作品に込められた一つひとつの言葉や場面が、より深く心に響きました。
世の中の何ひとつも役に立っていないようにも思われる我が子ですが、家族や周りの人を笑顔にして、生きるパワーをくれています。
それだけでも十分です。
劇中において、「おい、お前は神様なんていると思うか?」
という場面があります。
これはあくまで私個人の考えですが、私は神様は存在すると信じながら生きています。
だからこそ、この映画にある、「生きていく。たとえ神様なんていなくても——」
という言葉が、ずっと今も心に残っています。
映画『時には懺悔を』。
私は、観て良かった! と心から思えました。
家族を持つ人にも、これから親になる人にも、ぜひ観ていただきたい映画です。
きっと観終わった後、「生かされている尊さとは何だろう?」
「命の価値とは何だろう?」
そんなことを考える時間が生まれると思います。
蛇足ですが・・・。
映画を観た帰りの車の中でも、何度も映画のシーンを思い出し、
こぼれてくる涙を拭きながら運転して帰った私でした。笑