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11回目の3.11

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今日3月11日

東日本大震災から早11年

 

 

 

当時、岩手県一関市で被災した一人として

毎年、このブログの場をおかりして

お伝えしております。

 

 

 

 

 

 

震災時の画像が多数出てきます。

見るに堪えない方は

ご遠慮くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東日本大震災

地震の規模を示すマグネチュード9.0

阪神大震災の1400倍

 

 

地震は、

国内観測史上最大

全世界でも20世紀初 頭からの100年間で

4番目の地震規模だそうです。

 

 

M5.0以上を観測した余震は、

3月11日だけでも155回

2月25日現在までの間では

593回発生しています。

 

 

このうちM7.0を超える余震

6回記録しています。

 

 

 

史上稀にみる超巨大地震により津波が発生

津波は日 本全国の検潮所で観測され、

太平洋岸では、

北は根室 から南は奄美大島まで

1m以上の津波が観測された地点 が多数。

 

 

波源域に近い東北地方太平洋沿岸では

津 波が高すぎて、検潮所が破損。

最大波が観測できない 地点もあったそうです。

 

 

 

津波 は最高潮位9.3m

遡上高は国内観測史上

最大の40.5 mに達し、

想定していた高さを

遙かに上回る津波が沿岸 の都市を襲い、

戦後最悪の自然災害となりました。

 

 

 

ま た、太平洋に広がった津波により、

インドネシアとアメリカ でも死者がでました。

 

 

東日本大震災による

死者は1万5900人

行方不明者は2523人

 

 

震災後の避難生活による

体調不良、自殺などによる

震災関連死は3784人

 

 

 

 

ご冥福をお祈りいたします

 

 

 

震災直後の避難者は約47万人

 

建物の全壊が12万1992戸

半壊が28万2920戸

 

停電世帯は800万戸以上

断水世帯は180万戸以上

 

首都圏では帰宅困難者が約515万人

 

 

 

そして今なお

避難を余儀なくされておられる方が

3万8139人

 

 

 

震災時の福島原発事故により

帰還困難区域となり

故郷を奪われた人たちが

およそ6万7000人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日、あの時

皆さまは

どこで、何を

されていましたでしょうか?

 

 

私は当時、

岩手県一関市で

現場代理人として

建設現場で働いておりました。

 

 

鉄骨の建物が音を鳴らして揺れ

目の前のコンクリートの地面が割れ

身体が振られ、立っていられない地震が

長い時間続きました。

 

 

震災直後から降ってきた雪も

夜が更けていくと

さらに強く降り積もってきました。

 

 

停電で真っ暗闇の中

東の夜空だけが赤く染まっていました。

車でおよそ20分の気仙沼が燃えていたからです

 

 

同僚の中には気仙沼や陸前高田の人もいました

 

を失なった人

親、兄弟を失った人

子どもを失った人

恋人を失った人

 

残された人に掛ける言葉はありませんでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近い将来、

発生する恐れがある

南海トラフ地震は

最大でマグニチュード9クラス、

津波の高さは最大30メートルを超す

と想定されているそうです。

 

 

政府が公表した最新の試算では、

最悪のケースで死者23万1千人、

建物や資産の直接被害額は

171兆6千億円に上ると見込まれています

 

 

東日本大震災の直接的な被害額はおよそ25兆円

世界銀行は自然災害よる経済損失額としては

史上1位としています

 

 

南海トラフ地震は

東日本大震災の被害総額の

6倍に達すると言われております。

 

 

 

 

もしもの為の

防災対策に備えましょう

 

 

 

 

 

気分を害された方に

お詫び申し上げます。

 

 

 

今私たちが出来る事